20171107

臨書するような写真

ほとんど思い出したことのない記憶が
あるきっかけでブワッと出てくる体験をした。

図書館でザッピングしてたとき手にした本を開いて
なんか気になるなと思ったその瞬間、ブワッときたのです。
小学校時代に習った書道教室でのお手本のひとつ
「九成宮醴泉銘」の「九成宮」の3文字だった。

墨の匂いから半紙のザラつき、教室の広さと湿度、
机の配置や椅子のグラつきまで30年間ほとんど上書きされて
いない記憶と感覚がたくさん湧いてくるのでした。
その量と質。これにはビックリ。

よほど多くの記憶が、脳内にはあって
お手軽に写真撮って満足している今現在よりも、
3文字の習字のお手本でこうもまざまざと蘇るものなのかと。
それとも、ピュアな小学生だったからなのかな?

たった3文字の佇まいにも多くの記憶が乗るのだ。必ずしも
写真イコール記録とか記憶のキッカケではないということが
解る。そしていまはかなりそれに頼りすぎていることも。

話はそれるけど
そもそも写真の余白とか間とか、自分の好きな感覚は
この書道教室がルーツかと最近少し納得しています。

ゆっくりと臨書するような写真。良いヒントだなあ。
最近は 写真も書も柳公権/玄秘塔碑にしっくりきています。