20171128

コデジ

電池の勉強が続きます

何年か前に電池の寿命でもうダメだなと思って
放っておいた小さいデジカメ

でも時代は進むね
近年、ドローンの登場によってそのサイズや容量が
一気に多様になってきて、選びやすくなったのだ

門外漢にはなんのこっちゃだけど
こちら側の人からすると大変便利な世の中になったもんだ
なのです

20171121

ボフッシュっ!


たまにの失敗
電池温めすぎての破裂。メガネ男でよかったよ。
みなさん失敗するなら安全に失敗しましょう。
そして学習しましょう。自己責任で。

20171120

てんぽ食う

煎餅記事書いたからかな?
友人に乗せられて思いがけなく三戸へ

車を停めて少し歩いて煎餅屋へ
買ってお店を出てからの数十秒これが至福です。


手に持った感覚、ひとくち目の香りと味と食感
んほぉ〜と唸ってから写真、そして一気に食べる
ハイ、てんぽに関しては鮮度が命だよね。

20171115

パラドックス


今年の春夏は三戸の煎餅をよく食べた
何枚でも食べられる薄くてパリパリの煎餅と それとは
対照的な柔らかいミミのモチモチ、かなりお気に入り。

そして、お盆にこれがやってきた
久慈のこれはドッシリ、ずっしりな食べ応え
その中にもちゃんと旨味があって、コーヒーにも合う。
これはこれで、なかなかいいあんばいでした。

ただね1斗は多すぎた、
方々で手伝ってもらいながら 今、食べ終わったよ。
そして こわれ煎餅なのに、割れ物注意なパラドックス

20171107

臨書するような写真

ほとんど思い出したことのない記憶が
あるきっかけでブワッと出てくる体験をした。

図書館でザッピングしてたとき手にした本を開いて
なんか気になるなと思ったその瞬間、ブワッときたのです。
小学校時代に習った書道教室でのお手本のひとつ
「九成宮醴泉銘」の「九成宮」の3文字だった。

墨の匂いから半紙のザラつき、教室の広さと湿度、
机の配置や椅子のグラつきまで30年間ほとんど上書きされて
いない記憶と感覚がたくさん湧いてくるのでした。
その量と質。これにはビックリ。

よほど多くの記憶が、脳内にはあって
お手軽に写真撮って満足している今現在よりも、
3文字の習字のお手本でこうもまざまざと蘇るものなのかと。
それとも、ピュアな小学生だったからなのかな?

たった3文字の佇まいにも多くの記憶が乗るのだ。必ずしも
写真イコール記録とか記憶のキッカケではないということが
解る。そしていまはかなりそれに頼りすぎていることも。

話はそれるけど
そもそも写真の余白とか間とか、自分の好きな感覚は
この書道教室がルーツかと最近少し納得しています。

ゆっくりと臨書するような写真。良いヒントだなあ。
最近は 写真も書も柳公権/玄秘塔碑にしっくりきています。